日本語
日本語教師は難しい。
日本語を教える仕事があるのを知ったのは、
会社員時代だった。
当時、1年間の予定で研修に来ていたブラジル人社員10人に
日本語を教えてもらえないか?
と、ブラジル支社の人から頼まれたのがきっかけだった。
ブラジル支社の日本人社員のIさんは現地採用で、
ポルトガル語ができ、ブラジル人女性と結婚して4歳の女の子がいた。
Iさんが日本語を教えるほうが手っ取り早いのだが、
彼自身も研修があり、家族を同行して来日していたため、
アフターファイブは自分のことをしたいと、
営業課の私に頼んできた。
毎日、残業だから「まっ、いいか!」という気持ちと、
日本人なら日本語を教えられる!と単純に考え、
毎週、月曜日の午後5時から1時間、
部署の先輩、後輩と私の女性3人で教えることになった。
ところがである。
何から教えていいのか、さっぱりわからない!
一緒にいた先輩、後輩は海外業務担当で、ともに英語はできた。
恥ずかしながら私も多少の英語は話せた。
だが、ブラジル人の研修生はポルトガル語で、英語は簡単な単語しかわからず、
日本語は、挨拶レベルしかできなかった。
ただ、ほぼ全員、「愛想は良かった」。
とりあえず、挨拶、自己紹介を教えたものの
「この先、どうすればいい?」と、考えた。
そこで調べて知ったのが、「日本語教師」というわけだ。
当時はネットで調べるなどという便利なものはなく、
本屋で「日本語教師」と書いてあるものを立ち読みした。
難しいこのうえない。
簡単に教えられるものではないと思い、たじろいだ。
とにかく、なんとかするしかない。
先輩、後輩と相談し、まずは全員が、
挨拶と自己紹介が完璧に言えることを目標にした。
10人いれば、誰かリ-ダ-的な存在がいる。
そのグル-プは、21歳のノルベルトがムードメ-カであり、
リ-ダ-的な存在だった。
ノルベルトは、お爺さんがイタリア人とのことで、
ニコニコ笑顔で、とにかく明るい!
日本語を覚えようとする意欲もあり、
単語だけでも話そうとしているのがよくわかった。
今から思うと、「よくもまぁ」といえる教え方だったが、
皆と仲良くなり、単語だけでも会話ならぬ会話が弾んだ。
ときどき、Iさんにも参加してもらいつつ、
不思議な日本語レッスンは続いたのだった。

